無料ブログはココログ

オンライン状態

2009年7月18日 (土)

ノラ

 年明けの3日、仔猫の鳴き声がした。残り物の魚をやると食べ、そのまま居ついてしまった。人を恐れる様子がない。外に出ると危ないくらい足に絡まる。迷子にでもなったのかもしれない。近所を尋ねてみたが、飼い主はいなかった。この辺に猫を捨てていく人がいるとも言う。夫にはアレルギーがある。家は平屋で庭に面した広いベランダがあり、そこで飼うことにした。穏やかな日が差し、庭に5本の大木がある。周りは耕作放棄の柿畑で、草が丈高く茂る夏は森の中のように涼しく扇風機もいらない。子猫は杉の木で爪を研ぎ、ガレージから屋根裏に入り込んだりと、野生も残しながら育っていく。屋根から下りられなくなったので下ろしてやった。翌日も屋根の上から鳴き声がする。下ろしてやろうと近づくと後ずさりして逃げる。あきらめて脚立を片付けたとたん、雨樋を伝って見事に降りた。「見て」と言わんばかりに得意気である。私に見せたかったのだ。

 恋の季節になった。夫は避妊手術は気が進まない、1回ぐらい生ませてやれ、と言う。腹が膨らんできた。ダンボールに古いシーツを敷いた産み箱をベランダに置いた。5匹生まれた。ノラは雉虎だが、白が2匹いる。前の晩白猫が来て2匹でベランダに長いこと座っていた。「ねえ、もう生まれるよ、どうする」。「大丈夫だよ。ここのうちで何とかするだろう。心配するな」。それ以来白猫は姿を見せない。
 「猫はたくさん仔を産むよ」と聞いてはいたけれど、まだ体も小さいし、せいぜい多くて3匹だろう、と高を括っていた。1日中乳を飲ませ、疲れると腹を出して延びてみせる。大変だねと撫でてやると目を細めて喉を鳴らす。
 眼も開き始めた頃、向かいの3年生の女の子に「仔猫が産まれたよ。見る?」と声をかけた。翌日から女の子は毎日通ってきて2時間近く仔猫と遊び、トイレの掃除もしていくようになった。飼いたいのだけど、お母さんが猫に恐怖感を持っていると言う。母親にも来てもらうと、小さい頃猫に威嚇され、それ以来怯えるようになったとのこと。こんな仔猫でも怖いの、と聞くと怖いと言う。
 1ヶ月が過ぎても里親は見つからない。女の子は母親の気持ちを察し、飼うとは言わない。乳離れしたので動物愛護協会に連れて行くことにし、母親に話すと1匹もらうと言う。「あの子があんなに熱心に何かやったのは始めてだし、もし飼ってやらなかったら、一生恨まれると思うから」。女の子は一番太った白猫を選んだ。「ホワイト」と名づけ、お姉ちゃんと取り合いで抱いている。お母さんも仔猫がこんなにかわいいなんて思わなかった、と言う。

 動物愛護協会には10数人が仔猫を連れてきていた。協会のボランティアの話では初子だときれいな仔が生まれるが、何回も産むうちにひどい器量の仔が生まれ、貰い手もなくなる、とのこと。ノラもかわいい顔をしているし、仔猫も皆かわいい。人になついている猫はすぐ貰い手がつく。貰い手は1時間近くカウンセリングを受け、去勢させて一生大切に飼い続けるという誓約書を出さなければならない。3匹貰い手がつき、一番小さな雉虎の雌が残った。
 避妊手術のため入院していたノラは帰宅するなり、狂ったように仔猫を探し回り、悲しげな声で鳴き続けた。仔猫が舐めると傷口がつかなくなり、再入院させて縫い直さなければならない。仔猫を家に入れるとガラス越しに求め合っていた。1週間後抜糸が済み、仔猫をベランダに出した。ノラは悲しげに鳴くこともなくなり、仔猫の喉に噛み付いたりして止めを刺すことを教えている。鼠を取っていた頃のDNAが残っているのだろう。しつこく仔猫にからんでいたが、1週間後、仔猫を放って出歩くようになった。雄猫を求めているのだろう。避妊手術後何匹も来ていた雄猫が1匹も来なくなった。3日ほど餌も食べずにうろついていたが、もう相手にされないとわかったのか出歩くのをやめた。1週間近くボーっと遠くを見ながら座っていたが、食欲も戻り、仔猫が絡んでいくとまた相手をするようになった。これまでのように積極的にではなく、しようがないといった感じだ。もう親の役目は終わったのだ。
 無邪気な猫だったのに今は鬱々としている感じがする。恨めしげに私を見ているような気がする。抱いてやるとうっとりと目を閉じ、喉を鳴らす。避妊手術に連れて行ったときも抵抗しなかった。人間には逆らえない、逆らってはいけないとでも考えているのだろうか。仔猫は無邪気に伸び伸びとベランダや庭を走り回っている。2匹とも庭を出ることはない。もう仔猫を産ませようとは思わないけれど、避妊手術のことを考えると憂鬱になる。

2009年7月17日 (金)

外反母趾

 脚が痛む。外反母趾が直りかけるとき痛みますが、心配ありませんよ、とヨガのインストラクターのI さんに言われている。
 3週間ほど前、Iさんに恥骨が下を向いていない、と指摘された。何度か手を添えて教えていただいても、どういうことかわからない。ジムでIさんと別のヨガ講座を持っているYさんに聞いてみた。YさんはIさんの娘だが、Iさんとはアプローチの仕方が違う。Yさんによると私の足は太腿まではまっすぐだが、膝から下が外側に湾曲していてそこから力が抜けているとのこと。「踝をつけ、膝を内側に下ろすように力を入れるといいですよ」。早速やってみると腰が入り、背筋がすっと伸び、恥骨も下を向き、足の親指に力が入った。吐く息で肛門を閉める、とさらに安定する。肛門を閉めて、と言われても今まではその感覚がつかめていなかった。これが正しい姿勢なんだ。丹田に力が入るとはこういう状態なんだ。外反母趾を直す目処がついた。
 パソコンで長時間仕事を続け、腰を痛めるまで自分の体には問題がないと思っていた。太っても痩せてもいないし、体力も柔軟さもある。いったいどこに問題があるのか。身体学に関する様々な本を読み、腰を立てることを意識するようになると状態は改善した。その後、ふとしたきっかけでIさんのヨガに出るようになり、Iさんに反り体を直していただいた。反り体にならないよう気をつけていると背中がまっすぐになって来た。体の歪みのひどさにも気づくようになった。最悪の歪みは外反母である。Iさんに痛みがなくても外反母趾は直したほうがいい。加齢につれ問題が起こってくるからと言われた。キネシオテープを巻いたり外反母趾矯正グッズをつけたりと努力したが、手ごたえは今一つだった。

 Yさんに正しい姿勢を教えていただき、忘れないよう姿勢を意識して歩き始めた。足の親指に力が入るということがどういうことか始めて体で理解できた。ぺたっとしていた尻が盛り上がり、腿や脚の外側についた肉も取れていき、踝がつくようになり、脹脛の内側に筋肉が移動した。顔も細くなった。
 若いときから緊張症でいつも肩が上がっていて精神が不安定だった。子どもを生み、年を経るごとに少しづつ落ち着いてはきたが、何につけてもどっしりと構えることができなかった。「臍下丹田に力を込める」という言葉は知っていても、どういうことなのか体では全くわからなかった。
 10年ヨガをやっている人に92歳の叔母さんの話を聞いた。「元気で頭もしっかりしていて歯も丈夫で入れ歯もないのに、腰だけが悪くて杖をついてやっと歩いているんですよ。腰ががたがたっていう感じ。ひどい外反母趾だからそれが原因だと思うの」。このまま外反母趾を直さず小指側に重心をかけたままでいたら、私もj彼女のようにいつか腰を痛めるだろう。いやもう痛めたではないか。
 正しい姿勢を保つのはまだまだきつく手探りの状態だが、60歳になっても姿勢は矯正できる。今は小学生にも外反母趾の子がいるという。日常生活で腰を据える機会がなくなっているからだ。野口体操の創始者野口三千三は「戦後は小学校でヨガを教えるべきだ」と言っている。正座で姿勢を正し、着物の裾が乱れないよう骨盤を締め親指で草履や下駄の鼻緒を踏みしめていた文化が次世代に伝わらなくなってしまった。現在90代以上の女性は経血を垂れ流すこともなかった。(三砂ちづる著『昔の女はできていた』『女は毎月生まれ変わる』より)
 ヨガは動的禅とも言われている。真剣にポーズを取ることで、自律神経が整えられ、心身が落ち着いてくる。IさんとYさんというすばらしい指導者との出会いは掛替えのない財産である。

2009年4月 7日 (火)

逃げおおせた

 「もう泥棒はいないよ」と風呂の更衣室で誰かが言っている。フロントに事情を聞いてみた。泥棒は3月いっぱいでジムを止めたという。 

 前にこのブログに書いたジムの泥棒が夜だけジムが使えるナイト会員から1日ジムを使える正会員に戻ってきた。正体がばれていないと思っている泥棒は以前同様愛想良く話しかけてくる。顔を合わせるたびに緊張が走った。再び盗難が相次ぐようになった。泥棒の存在を知らない新会員が狙われた。泥棒の正体を知っている会員たちは「今は木の芽時だから、活動が一層激しくなったんじゃない」と言っている。証拠がないから誰も名指しできない。私もカモになりかけている人を見て、「気をつけなさいよ」と喉元まで出掛かるのをぐっとこらえるしかなかった。
 
 たまりかねたジムは女性の更衣室や風呂場に張り紙をした。「盗難が相次いでいます。盗難にあわれた方は小額でもフロントにお届けください。何か情報がありましたら、どんなことでもお知らせください。私たちもスタッフも厳しく対処していくつもりです」とある。同時に泥棒がチエックインするとスタッフが張り付くようにもなった。とたんに泥棒はジムに来なくなり、とうとう止めた。夫も同時に止めた。夫婦共々正体がばれたと気づいたのだろう。夫は小学校の教頭である。古くからの会員たちは家族全部が彼女の盗癖を知っているはずだという。止めさせる手立てを取らなかった家族も共犯ではないのか。
彼女は10年間十分に稼いでうまく逃げおおせた。

 ジムは会員たちが互いに疑心暗鬼の状態になるのを避けたいと泥棒がいることを公表しなかった。泥棒は高を括ってしまった。泥棒とその家族に良心があるとは思えない。被害が広がり続けたのはそのためである。
 小泉改革を発端にアメリカ型社会になった日本には彼女のような人たちが増え始めた。ジムのスタッフが今回取ったような方法で厳しく対処していくしかない。

2009年4月 4日 (土)

生涯現役

 ココ・シャネルは80歳になっても街で若い男に「お嬢さん、お茶をご一緒しませんか」と声をかけられたと言う。川風市にもシャネルのような女性がいる。朗々とした豊かな声、ミニスカートにハイヒール、颯爽と歩く細く強靭でしなやかな体。ジムでヨガを教えている彼女は四月に還暦になる私より年上である。
 半年前このブログにも書いたように、翻訳家の夫のもとで2年前、ゼロから英語の勉強を始めた私の体はその過酷さに音を上げた。頭と目の疲れは1晩寝たぐらいでは回復しない。寝つきが悪くなった上に1時間半の睡眠サイクルごとに目が覚めるようになった。眠りの質が極端に落ちたのだ。パソコンに向かい、辞書を舐めるように読み込んでいくと尻が痛くなってきて、椅子に座っていられなくなる。
 勉強を続けるには体を鍛えなければならない。ジムで空いた時間に彼女のヨガに出てみた。彼女の一言一言に目から鱗が落ち、腑に落ちていった。
 私は反身だと指摘され、注意されていたが、なぜ反身が悪いのか、どうしたら直るのかわからなかった。彼女は私の肩に手を添え、いとも簡単に胸を開かせてくださった。胸も開かずに体だけを反らしていたから反身になったのだとようやく気づいた。「胸を開けば骨盤は締まります」「はらが据わっていれば何事にも動じなくなりますよ」。胸を開いて臍下丹田に力を込めるということだ。頭ではわかっているのに、体では何もわかっていなかった。私は家事が好きで掃除も草むしりも一生懸命やるのだが、それぐらいでは追いつかないほど体は退化している。車と電化製品に囲まれた現代に踏ん張るシーンはほとんどない。きちんとした姿勢で椅子に座り続けられなかったのもそのせいだった。
 私以上に衰えている夫の体も彼女の骨盤矯正を受けるとぐっすり眠れて楽になる。こんな技術を惜しげもなく教えていただけるなんて。
 彼女はたくさんの受講者の一人一人の問題点を即座に捉え、手を添えて矯正していく。「あなたは先週よりここが縮んでいますよ」と後ろにいる受講者に話しているのが聞こえた。こんなにたくさんいるのに一人一人の先週の状態まで正確に把握していらっしゃるなんて。
 ユーモアたっぷりで溌剌とした彼女の授業を受けるたび幸せな気持ちになる。感謝の思いを伝えると「喜んでいただけて感謝しています。一緒に生涯現役ね」と花のような笑顔を贈ってくださる。

2008年11月 5日 (水)

一息

 ようやく1冊翻訳を終えた。259ページあった。薄い本ではないし、仮定法や比較や時制など日本語ではなじめない表現が多く文章も長い。助動詞が出て来ると文法書と首っ引きになった。はじめたのは1月だから10ヶ月かかったことになる。英語に触れるのは高校時代以来だった。ろくに勉強もしなかったので3単元すら忘れていた。夫が買ってくれた文法書を半年かけて読んでから取り掛かった。ボキャブラリーはないも同然だったので辞書を舐めるように読むしかなかった。夫は翻訳家として名を成している。まず何よりも正確に読むんだ、と何度も言われた。やってみてそれがどんなに大変なことかよくわかった。日本語で辻褄を合わせようとすれば簡単にできる。いわゆる「超訳」がたくさん出ているだろうなと思う。
 来年の4月には還暦になる。この年でこんな過酷な勉強をすることになるとは思わなかった。やり遂げることができたのは夫がすばらしい教師だったからだ。夫は一言一句ゆるがせにせず、間違いを徹底的に直してくれたので読解の密度に自信ができた。本の内容の面白さが早く次に進むよう駆り立ててくれた。
 日に6時間以上もパソコンに向かい続け尻が痛くなった。「しなくてもいい英語の勉強を止めるエクスキューズには事欠かない」が夫の口癖だ。夏樹静子の「腰痛放浪記」が浮かんだ。これは心の問題なのか。やるのが辛くてやめたいのだろうか。でもどんなに大変でも面白い。訳文がぴたりと決まったときは「数独」や「クロスワードパズルを解いたときのような喜びがある。腰痛は単なる体の問題だろうと考え、身体構造に関する本を読んだ。臍下丹田で体を支え、上から引っ張られているような意識で体を伸ばして座っているうちに痛みはなくなった。
 夫の入院中は夫の世話をしなくてもよくなった分だけ能率があがり、やった分を病院に持って行って見てもらった。北京オリンピックも何もかも遠い世界で新聞を読む時間と家事の時間以外はひたすらパソコンに向かっていた。目は飛蚊(ひぶん)症になり、神経の興奮で夜中に何度も目が覚め、眠りの質が極端に悪くなった。家事は気分転換も兼ねて完璧にやったが、それでもストレッチやウォーキング等で体を鍛えなければならなくなった。よく眠れると書いてあったので足揉みもはじめた。辞書を舐めるように読まねばならない基礎的な勉強は若いうちだったら苦もなくできる。しかし年を取ってからだと、頭はいくらでも先に進みたいのに、目が疲れてくると辞書の文字が読めなくなる。
 真ん中ぐらいまで進んだとき、終わるころには直されることもなくなるな、などと終わるのが楽しみだった。ところが、終わるころになっても間違いはいくらでも出てくる。一朝一夕では外国語はマスターできないことが思い知らされた。
 これからどうしよう。古希を過ぎ、透析を受けている夫は「英語の勉強は俺が元気なうちにやれるだけやれ」と言う。原稿を書くことに行き詰って始めた翻訳の勉強だけれど、原稿を書く力も鍛えてくれたと思える。中途半端になっている幾つかの原稿も仕上げたいけれど、ここまでがんばってきた英語の勉強はもう止められない。体力がある今しばらくのうちは、他のやりたいことを諦め集中しなければならない。いつか一息つけるだろう。

 夫は透析開始から5ヶ月経ってようやく落ち着いてきた。ぐったりと疲れて寝てばかりいたが、今は透析前よりはるかにいい状態だ。透析導入後の血圧や体重の調整には時間がかかる。食事も制限はあっても透析前より多くのものが食べられるようになった。透析を始めると尿がほとんど出なくなるので、汗で老廃物を排泄しないと体重の調整が難しい。決められた体重(ドライウエイトという)より5パーセントまでが抜かれる水の上限とされているらしい。それを超えると透析後が辛くなる。これ以上動脈硬化を進行させないためにも、透析の日以外は毎日ジムに通い、ウオーキングや整体や筋トレに励むしかない。好きなときに寝て好きなときに起きていた生活も透析にあわせて規則正しくなリ、私も楽になった。やっと一息。

2008年7月 1日 (火)

いただいた命

 クラス会から10日後、夫は朝起きたら舌がもつれて回らなくなっていた。脳血栓だったが、すぐ病院に行ったことも幸いし、後遺症はほとんど残らず1週間で退院した。クラス会の楽しい酒と疲労に暑い日が続いたことで脱水症状になったのが原因らしい。
 ところが、血栓を溶かす薬の影響でクレアチニン値が8を越してしまった。退院した足で、今度は透析専門のクリニックに入院した。もはや保存療法は限界ということで透析となった。シャントができていなかったので、鼠径部から緊急透析をし、4回の透析で薬の影響はほとんどなくなった。シャントの手術は入院10日目に行われたが、使えるようになるまで最低2週間はかかる。それまで透析は鼠径部からになる。鼠径部には透析のためのカテーテルが入っているので、退院できない。病室にノートパソコンを持ち込んで何とか締め切りに間に合わせた。

 「○○ちゃん、おはよう。ご飯食べようね」「あーん、いいお口だね。おいしい」。同室で看護助手の世話を受けているのは九十四歳のKさんである。言われていることぐらいはわかるが、ほぼ一日中眠っていて、食事とおやつの時間になると「○○ちゃん」と起こされる。おやつはベッドの上だが、食事は車椅子でディルームに連れて行かれる。枯れ木のようにやせ、穏やかな笑みを浮かべているKさんは「かわいい」と看護士や看護助手のアイドルである。
  糖尿病から腎不全になったTさんは片足を切断している。眼もよく見えなくなって好きな本も読めず、虚ろな眼で一日中テレビを眺めている。リハビリも仕方なくやっているようだ。他にも寝たきり状態の人が多く、十分なケアを受けて生かされている。川風市は都会と違って介護助手は足りているようだ。このような状態が続けば終末期医療費は止め処なく膨らんでいくだろう。
 まだ若い透析者で脳溢血を起こし入院している人もいる。透析者は脳梗塞や脳出血を起こしやすい。復帰には十分なリハビリが必要だが、180日経てば打ち切られてしまう。医療費の増大を抑えるため、3年ぐらい前からそのような制度になった。

 今日は死ぬのにもってこいの日
 生きているものすべてが私と呼吸を合わせている
 すべての声が私の中で合唱している
 すべての美が私の目の中で休もうとしてやってきた
 あらゆる悪い考えは私から立ち去っていった
 私の土地は私を静かに取り巻いている
 私の畑はもう耕されることはない
 私の家は笑い声に満ちている
 子どもたちはうちに帰ってきた
 そう、今日は死ぬのにもってこいの日

 上記はプエブロ・インディアン古老、タオスの言葉である。
 2週間ほど前バーモント州の山中で1人花や野菜を育て、絵を描いて暮らしていたターシャ・チューダーが自宅でなくなった。92歳だった。
 白州次郎は相撲の千秋楽を見た後「相撲も千秋楽、パパも千秋楽」と言って病院に入院しまもなく亡くなったという。

 夫は「(透析で)いただいた命だからきちんと生きるけれど、無駄な延命はするな」と言う。退院したらすぐリビング・ウイルの手続きをするつもりだ。

2008年5月17日 (土)

同窓会

 夫の中学3年時の同級生たちは我々が住む地域で同窓会をやることになった。夫と東京在住の医師が幹事になった。夫は場所をぬるさと泉質の良さで有名な温泉に決めた。最寄の駅からバスもなくタクシーで20分以上かかる旅館が2件だけの秘湯である。送迎の車もない。38度前後なので2時間も入らないと温まらないが、難病に卓効があるので、湯治客の間では知る人ぞ知る名湯である。背中がぴんと伸びた95歳の女主人のもてなしに家族同然の湯治客も多い。
 
 夫の出身中学は札幌市にある。地元でやっていたときは参加者が十数人だった。古希という年齢もあり、来るのは5-6人かな、と考えていたら何と21人も集まり、小さな旅館は貸切となった。
 夫は中学3年時の同窓会にしか出ない。このクラスは不思議なクラスである。国立大学の一期校をはじめ、大学を出た人も多い。一流企業に勤め相当の地位まで出世した人も、苦学して弁護士になり、日弁連の副会長まで努めた人もいる。札幌とはいえ、何の変哲もない公立中学なのに、メンバーが非常に多彩で卒業後55年の今まで親しく付き合い、助け合ってきた。

 もう1人の幹事氏は同窓会出席が趣味とも言える人で小学校から大学まで案内が来る同窓会にはほとんど出ていて、幹事にも慣れている。早速案内状の雛型を送ってきた。国立大学一期校の医学部同窓会の案内状で、冒頭に「同窓の諸先生へ」とあった。それを見て唖然とした。同級生なのに自分たちを「先生」と呼ぶなんて。
 夫はレストランでも決してお任せコースは取らない。もちろん案内状も自分で書いた。この案内状に誘われて、と何人もの人に言われた。40通も出した往復はがきの返事はただ欠席に丸がついていたのも数通あったけど、他の大多数には余白いっぱいに近況が書かれていた。作家冥利である。

 戦後を築いてきた年齢の彼らは戦歴とも言える生活習慣病に倒れ、何とか回復した人も何人かいるけれど、最寄の駅までリュックを背負って20キロ近くの距離をマラソンで帰っていく信じられないよう人もいる。彼は大学の病理学の名誉教授で未だに学会で論文を発表している。

 山奥の秘湯のカラオケも何もない小さな旅館で心行くまで語りあった上、女主人のもてなしを受け、1万円で千円おつりがきたことに感激して帰っていったうちの何人が次の同窓会で出会えるだろう。夫も含めて。

2008年4月11日 (金)

出過ぎた杭は打たれない

 20年前、私は知的障害のある長女を校区の普通学級で育てたいと主張し、教育委員会や学校や地域の人たちと激しく対立した。障害児は健常児の邪魔になると言うのが彼らの言い分で、あらゆる妨害をした。飲食店をやっていたので、「学校や教育委員会に逆らったら、ここで商売などできなくなる」とまで言われた。私はすかさず「そういうことを言う教育委員会はまるでやくざではないか」と言い返すなど、何を言われてもどんな仕打ちをされても決して主張を曲げなかった。1年後には校区の普通学級に転籍することができ、その後その経緯を書いた2冊の本も出版した。関係者たちの長女と私への対応は一変した。学校は私の主張をほとんどすべて受け入れ、長女は中学卒業まで普通学級で普通に過ごした。
 さらに家業の飲食店は地域の学校関係者が利用してくれ繁盛した。

 面と向かって「あなたのような人は許せない」などと言われたこともある。彼女は後になって「本当はあなたがうらやましかった。どんな状況でも頭を上げて自分の考えを言い、明るく生き生きとしているあなたがうらやましかった」と言い、母子ともに長女に深くかかわってくれた。

 この町の陰湿さは目を覆うばかりだ。誰もが顔と名前を出して本心を言うことに怯えている。優秀な成績で公務員試験に通りながら、コネがないために面接で落とされた人の母親は見ず知らずの私にそのことを訴えるのさえ、ひどく怯えていた。怯えているのが相手に伝われば余計に相手は図に乗ってくる。「出る杭は打たれる」のである。ところがハンマーが届かないほど出すぎた杭は打つことができない。打たれたくなければ杭をどこまでも高くするしかない。それには自分で考え、勉強し、行動していかなければならない。

2008年3月14日 (金)

ブログ

 ちょうど1年前夫は「街づくりを考える会」で川風市は夕張化の危機にあると発言した。仲間の市民運動家も同感で会議のたびに「談合」と「夕張化」を問題にしたが、会の中心人物やその取り巻きたちに「そういうことは言わないように」と釘を刺されていた。市の総務部長に問い質してもそのような事実はないという。
 しかし、今や川風市の財政は夕張化寸前になった。公共事業費は前年の半分になり、業者たちが市役所に抗議に押しかけてきた。「談合」でしか受注できない川風市の業者にはこのような事態に対応できる体力がない。市長自ら「談合は市長の醍醐味」と言ってのけ、市長になって30億ぐらい稼ぎ、妻名義で土地を買っているという噂が流れている 。総務部長が夕張化を否定したのも1年後に退職するため、退職金がカットされないようにという理由だった。職員の給与は一律5%カットされることになったが、市長や市の幹部の退職金等には手がついていない。市長は70余万円の月給の中から1万円ぐらいカットされるだけだという。

 今こそ川風市の澱んだ空気を一新するときだ。オンブズマンの友人と夫は「市民の目」というブログを始めた。友人は情報公開で得た資料を基に市長や市の幹部や市会議員たちの不正を暴いていく。夫はその資料を基に彼らの阿漕さ、えげつなさを的確な言葉で罵倒していく。かつて「天才コピーライター」と呼ばれていた夫の面目躍如である。同時に川風市の再生のために「地域通貨」などの様々なアイディアも出していく。
 最初はほとんど反応がなかったが、ある時期(職員の給料が一律カットなどといわれ始めたころからか?)アクセスが急激に増え、日に200件以上もあるようになった。市役所のサーバーからのアクセスが最多だが、県庁のサーバー、自民党のサーバーからのアクセスもある。2チャンネル(匿名掲示板)の川風地域情報でも話題になっていてここからのアクセスも増えている。市議会でも「市民の目」というブログに市長や市の行政の問題点について書いてあるが、市長は知っているか」という質問まで出るようになった。答えは「知らない」だった。
  匿名だが、コメントも出るようになった。「司会議員になってこの市を建て直してください」「市長もそんなにがんばっていないで早く債権団体にしちゃえよ。そしたら市役所のやつらも威張っていられなくなるし、給料も半減。市民に後ろ指指される本来の姿に戻るだけ。今までやってきたことが明るみに出るってもんだよ」に始まり、次第に具体的な提言なども出てくるようになった。友人も夫も顔と名前を曝している。自分自身を曝すことで「言いたいことを自由に言っても何ともないんだよ」と訴えているのだ。
 インターネットの発達により、伝える者さえいれば、世界で起こっていることがリアルタイムで世界中に伝わるようになった。川風市でも恐るべき閉鎖性に風穴が開こうとしている。

市長の息子をめぐる事件

 川風市長の選挙事務所のトイレに、小学校6年生の女子が同級生の男子に閉じ込められ、体を触るなどの悪戯をされた。見張りは市長の息子だった。
 市長の息子には軽い障害があり、そのことで苛められている。苛めているのは川風市の有力者の身内の子どもである。彼らと同級生の母親である市民運動家は市長に「あなたの息子への苛めは放っておくべきではない」と言いに行った。市長は「市長の息子なんだから苛められても我慢しなさい、と言っている。その代わりゲームを好きなだけ買ってあげている」と答えた。実際市長の息子はゲームは何でも持っているという。
 卑怯者!としか言いようがない。息子に「苛めに立ち向かえ!」と言えないのは苛めている子どもが自分の有力な後援者だからである。市長は自分の息子すら守ることができず、代わりに金や物を与えることで機嫌を取っている。悪戯をした子は市長の選挙事務所で市長の息子を見張りにしてことに及んだのだ。子どもは市長を見抜いていたのである。市長のだらしなさも論外だが、さらに情けないのはこの事件をひた隠しに隠そうとしている学校当局や教育委員会である。道徳的勇気が欠如している彼らのような卑怯者にまともな教育ができるはずがない。そこに川風市の大きな問題がある。川風市が荒廃し、挙句に債権団体になるのも当然である。

 被害者の家庭は母子家庭である。母親は普段ははっきりものを言う活発な人なのに、市長や学校当局や教育委員会から圧力をかけられ声を挙げられない。自分の娘に我慢しなさい、と言うしかないと思っている。市民運動家の仲間たちが娘のため立ち向かうよういくら説得しても怯えて貝のように黙り込むだけである。優秀な成績だったのにコネがなかったばかりに川風市の公務員試験に落ちた女性の母親も同じだった。見ず知らずの人間に愚痴を零すのが精一杯なのだ。

 しかし、状況が変わってきた。校長が隠蔽を図っている関係者たちに、市民運動家たちが情報公開をしつこく迫っているのでこの事件は表沙汰になるかもしれない、と漏らした。川風市民のためにも声を挙げて欲しい!どこまでも一緒に闘うから。

«選択

2009年11月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

最近のトラックバック