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2007年8月26日 (日)

逃げられた!

 去年の秋だった。ジムに行く前、スーパーのレジで財布を開けると昨日入れておいた1万円札がなくなっている。おかしい、昨日の夜、確かに入れておいたのに。瞬間、盗られたんだ、とようやく気がついた。
 2日前、新しくできた直売所で買い物をした。夜家計簿をつけるため財布を開けるとおつりの7千円がなくなっていた。朝、銀行で下ろして入れたばかりだ。直売所は混雑していたのでおつりをもらい忘れたのかもしれない。電話で確かめてみたが、そのような事実はなかった。記憶を辿っていくと、直売所の後生協に寄ったときすでになかったことに気づいた。生協にも確かめてみたが、売り上げの計算はあっていると言う。どこかに落としたのだろうと諦め、新たにお金を入れ、残金を確かめた矢先だった。
 盗られた場所はジムしかない。3月半ばから夫の健康管理のため、夫婦で毎日ジムに通っている。ジムの風呂場に「盗難防止のため、ロッカーの鍵は浴室に持って行きましょう」と大きく書かれた紙が2枚貼ってあったことを思い出した。それを見ていながら、面倒くさいという思いもあって、鍵は脱いだ衣類の間に入れておいた。どうせユニクロのTシャツとジーンズしか入ってないんだから誰も私の着衣かごになど目をつけないだろう、と決め付けていた。鍵がロッカーの財布に直結していることを考えなかった。
 ジムのフロントに話すと硬い声で「調べて見ます」と言われた。さらにマネージャーに詳しい話を聞いた。このジムは8年前にでき、経営は3社目だが、最初の会社から引き継がれてきた泥棒がいるという。その泥棒は53歳の3人の子どもがいる主婦で夫は小学校の教頭である。保育士だったが、盗癖がばれて解雇され、どの職場も長続きしないという。状況から見て、犯人は彼女としか思えないのに、頑として口を割らないので警察でもどうすることもできない。彼女の夫も妻の盗癖を知っているのではないかという。彼女がチェクインするとジムのスタッフに緊張が走るという。
 ジムでの被害は現金と靴。財布ごと盗むのではなく、5千円とか1万円とか財布の中の現金の1部だけを盗むのでなかなか被害に気づかない。ジムの後、買い物に行ったとき、お金が足りないことに気がつき、ATMに行って下ろしたことが何度かあったことを思い出した。一瞬おかしいな、と思ったが、財布にいくら入っているかなど正確に数えたこともなかった。せいぜい1万円くらいの誤差だったので、どこで使ったのか思い出せないのだろうくらいに思っていた。たまたまお金を入れたばかりのとき、立て続けに2度もなくなっていたので気がついたのだ。
 翌日、その泥棒が誰か教えてもらった。とても年齢には見えない、あどけないような顔をした女だった。思い当たる節はあった。当日直売所で会って挨拶したことも思い出した。彼女とは受けているレッスンが同じこともあり、風呂場で一緒になることが多かった。昼のジムの風呂場は比較的空いているが、使えるシャワーは3つしかない。彼女はシャワーがどんなに混んでいても、長時間かけて一心に肌を磨いている。なんて非常識な女だろうと思い、自分から口を利くことはなかった。
 3ヶ月くらいたったころ、風呂場で2人になったとき、彼女が突然話しかけてきた。「ご主人の具合はいかがですか」。それから時々、レッスンの内容やインストラクターのことなどを話しかけてくるようになった。その頃からだ。財布からお金が消え始めたのは。間抜けな私は彼女の格好のカモだったのだ。
 彼女は春頃までは夜の時間帯にジムを利用していた。被害が相次ぎ、警察を呼んでも警官はジムのスタッフの指紋や足型を採っていくだけで何の解決にもならなかったという。刑事として警視長にまで上り詰めた夫の友人は言う。「俺ならその泥棒を落とせるけど、川風の警察じゃ無理だろう。大体泥棒が捕まるなんてのは運がいいとしかいえないんだよ。今の警察が泥棒を捕まえてくれるなんていうのは思い込みに過ぎないんだよ」。
 夜の時間帯にジムを利用する人たちに犯人の目星がつき始めた頃、彼女は我々と同じ昼の時間帯に移ってきた。他にも被害者は増えつつあり、3万円盗られた人もいる。彼女はまだ私が被害に気づいたことに気がついてないようだ。
 夫は一計を案じ、マネージャーの了解を得た。防犯ベルを買ってきて私のバッグの底に縫い付け、ベルについている紐を財布に繋いだ。財布を開けようとすればベルが鳴る仕掛けである。ベルが鳴ればマネージャーが駆けつけ、すぐに警察を呼ぶことになった。
 私は彼女の様子を観察し始めた。他の人たちと明らかに違う行動のひとつは使用するロッカーの場所を頻繁に変えることだった。私も含めてジムの会員はどのロッカーを使うか決めている。目当てのロッカーが塞がっていれば前後のロッカーを使う。誰がどのロッカーを使うのか大体決まっているのである。彼女だけが一定しない。目当てのカモの近くのロッカーを使うようだ。彼女は私のすぐ近くのロッカーを使うようになり、時には私がよく使うロッカーも使うようになった。もし現場を抑えられたら、拾った鍵を自分の鍵と間違えたと言い訳するのだろうか。かつて彼女が自分が使っているロッカー以外の鍵を持っていたので、マネージャーが問い質すと拾ったと言い張ったという。
 着衣を入れている籠が時々荒されるようになり、脱いだ衣類の間に入れておいた鍵がぽんと衣服の上に乗っていることにも気がつくようになった。タイミングが合わなかったのだろう。非常に用心深い。この用心深さで今まで、危ない橋を渡ってこれたのだろう。
 彼女がジムをしばらく休んだことがあった。風呂の中でヨーロッパに行っていたと他の会員に話していた。私から盗んだお金も旅行に貢献したのだろう。

 この春から彼女は再び夜の時間帯に戻り、私と会うことはなくなった。ほとぼりが醒めた頃、また昼の時間帯に来るようになるのだろうか。風呂場の更衣室で鍵を着衣の間に入れている人はまだいるし、ロッカーの鍵を閉め忘れる人もいる。「大丈夫よね、ここは。会員しか入れないんだから」と言いながら。

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コメント

なにかすごい経験ですね。ドキドキしなから読みました。とくに、<夫は一計を案じ>という下記のくだり、うまく解決したかと思ったら・・・これからがどうなることやら。
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夫は一計を案じ、マネージャーの了解を得た。防犯ベルを買ってきて私のバッグの底に縫い付け、ベルについている紐を財布に繋いだ。財布を開けようとすればベルが鳴る仕掛けである。ベルが鳴ればマネージャーが駆けつけ、すぐに警察を呼ぶことになった。

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