ノラ
年明けの3日、仔猫の鳴き声がした。残り物の魚をやると食べ、そのまま居ついてしまった。人を恐れる様子がない。外に出ると危ないくらい足に絡まる。迷子にでもなったのかもしれない。近所を尋ねてみたが、飼い主はいなかった。この辺に猫を捨てていく人がいるとも言う。夫にはアレルギーがある。家は平屋で庭に面した広いベランダがあり、そこで飼うことにした。穏やかな日が差し、庭に5本の大木がある。周りは耕作放棄の柿畑で、草が丈高く茂る夏は森の中のように涼しく扇風機もいらない。子猫は杉の木で爪を研ぎ、ガレージから屋根裏に入り込んだりと、野生も残しながら育っていく。屋根から下りられなくなったので下ろしてやった。翌日も屋根の上から鳴き声がする。下ろしてやろうと近づくと後ずさりして逃げる。あきらめて脚立を片付けたとたん、雨樋を伝って見事に降りた。「見て」と言わんばかりに得意気である。私に見せたかったのだ。
恋の季節になった。夫は避妊手術は気が進まない、1回ぐらい生ませてやれ、と言う。腹が膨らんできた。ダンボールに古いシーツを敷いた産み箱をベランダに置いた。5匹生まれた。ノラは雉虎だが、白が2匹いる。前の晩白猫が来て2匹でベランダに長いこと座っていた。「ねえ、もう生まれるよ、どうする」。「大丈夫だよ。ここのうちで何とかするだろう。心配するな」。それ以来白猫は姿を見せない。
「猫はたくさん仔を産むよ」と聞いてはいたけれど、まだ体も小さいし、せいぜい多くて3匹だろう、と高を括っていた。1日中乳を飲ませ、疲れると腹を出して延びてみせる。大変だねと撫でてやると目を細めて喉を鳴らす。
眼も開き始めた頃、向かいの3年生の女の子に「仔猫が産まれたよ。見る?」と声をかけた。翌日から女の子は毎日通ってきて2時間近く仔猫と遊び、トイレの掃除もしていくようになった。飼いたいのだけど、お母さんが猫に恐怖感を持っていると言う。母親にも来てもらうと、小さい頃猫に威嚇され、それ以来怯えるようになったとのこと。こんな仔猫でも怖いの、と聞くと怖いと言う。
1ヶ月が過ぎても里親は見つからない。女の子は母親の気持ちを察し、飼うとは言わない。乳離れしたので動物愛護協会に連れて行くことにし、母親に話すと1匹もらうと言う。「あの子があんなに熱心に何かやったのは始めてだし、もし飼ってやらなかったら、一生恨まれると思うから」。女の子は一番太った白猫を選んだ。「ホワイト」と名づけ、お姉ちゃんと取り合いで抱いている。お母さんも仔猫がこんなにかわいいなんて思わなかった、と言う。
動物愛護協会には10数人が仔猫を連れてきていた。協会のボランティアの話では初子だときれいな仔が生まれるが、何回も産むうちにひどい器量の仔が生まれ、貰い手もなくなる、とのこと。ノラもかわいい顔をしているし、仔猫も皆かわいい。人になついている猫はすぐ貰い手がつく。貰い手は1時間近くカウンセリングを受け、去勢させて一生大切に飼い続けるという誓約書を出さなければならない。3匹貰い手がつき、一番小さな雉虎の雌が残った。
避妊手術のため入院していたノラは帰宅するなり、狂ったように仔猫を探し回り、悲しげな声で鳴き続けた。仔猫が舐めると傷口がつかなくなり、再入院させて縫い直さなければならない。仔猫を家に入れるとガラス越しに求め合っていた。1週間後抜糸が済み、仔猫をベランダに出した。ノラは悲しげに鳴くこともなくなり、仔猫の喉に噛み付いたりして止めを刺すことを教えている。鼠を取っていた頃のDNAが残っているのだろう。しつこく仔猫にからんでいたが、1週間後、仔猫を放って出歩くようになった。雄猫を求めているのだろう。避妊手術後何匹も来ていた雄猫が1匹も来なくなった。3日ほど餌も食べずにうろついていたが、もう相手にされないとわかったのか出歩くのをやめた。1週間近くボーっと遠くを見ながら座っていたが、食欲も戻り、仔猫が絡んでいくとまた相手をするようになった。これまでのように積極的にではなく、しようがないといった感じだ。もう親の役目は終わったのだ。
無邪気な猫だったのに今は鬱々としている感じがする。恨めしげに私を見ているような気がする。抱いてやるとうっとりと目を閉じ、喉を鳴らす。避妊手術に連れて行ったときも抵抗しなかった。人間には逆らえない、逆らってはいけないとでも考えているのだろうか。仔猫は無邪気に伸び伸びとベランダや庭を走り回っている。2匹とも庭を出ることはない。もう仔猫を産ませようとは思わないけれど、避妊手術のことを考えると憂鬱になる。


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